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∞この愛すべき道具との出会い

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 <チャルカ>とは、インドの言葉で<糸車>を指します。糸車の発祥はインドまたは中国とされ、日本には中国から伝わってきたと言われています。インドや中国を経て日本にやってきた糸車は、日本の各地で、そこで産する木の種類や扱う繊維の特性に応じて、多少の違いをもって作られました。しかし、現在日本で一般的にチャルカと呼んでいる写真のものは、日本ではまったく見かけない形をしています。
 チャルカとは上記のように糸車という意味ですから、日本と同じようなインド製の大きな糸車の形のものも、実際にはチャルカと呼ばなくてはなりません。しかし日本人はいつの間にか、一般的にチャルカというと、このスーツケース型やブック型の携帯用の糸車を指すようになってしまいました。何故、インドでは、糸車をこのようにコンパクトに持ち運びができるような形をつくったのでしょうか。

 静かな心持ちでチャルカの前に座れば、カラカラと気持ちのよい音を立てて、チャルカは廻り、手に持った篠から、白い綿がツーッと出てくる。もう少しばかり撚りをかけ、強くする。繊維が糸になる瞬間。

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 インド、ベンガルのコルカタから北へ数十キロ、シャンテニケタンという美しい名前(平和の地)をもつ場所に、インドの詩人にして哲人、ラビンドラナース・タゴールが創立したヴィシュババラティという国立の大学があります。タゴールが創立したに相応しく、芸術や文学を愛する気風にあふれていました。
 1990年頃、沖縄を出た私は、この大学に1年間在籍することになっておりました。インドの民族衣装、サリーの美しさに魅了されていた私は、なんとかこの大学でサリーを織ってみたいと思っておりました。しかし、デザインをする者と、職工である織士とは区別され、職業を厳しく制約されているインドにおいて、サリーを織るのは、この大学ではなかなか難しいことでした。学部長との幾度にも渡る交渉に少々疲れ果て、さてどうしたものか、と思案にくれていた私に、ガンジーの糸紡ぎの会を紹介して下さったのは、牧野教授の奥さんでした。牧野財士教授は、ここで日本語を教えていらっしゃいました。インドに移り住んだのは1950年の半ば頃かと思います。もうすっかり身も心もインドに捧げ尽くされた方でした。
 ガンジーの糸紡ぎの会は、大学の近く、シャモリ婦人の家で週1回程開かれておりました。シャモリ婦人は画家で、どこか自由な雰囲気がそこかしこに漂い、ゆったりとした時間が常に流れておりました。大学を出てからも不意に訪れた私に、部屋を提供し、おいしいベジタリアンの家庭料理を振る舞って下さった事もあります。美しいインドの女性やら男性やら、牧野先生夫妻と私を含め、毎回数人が集まって、糸を紡いでおりました。最初はインド製の糸車(日本と同型のもの)で紡ぎ、そのうち牧野先生が携帯用のチャルカの注文を取って下さいました。何週間か後、携帯用の紡ぎ車が到着しました。

 この愛すべき道具、携帯用の紡ぎ車は、マハトマ・ガンジーが考案したものです。毎日何時間か、美しい糸を紡ぎ続けたガンジーは、旅先の宿屋でも、道中の列車の中でも、文字通り、どこでも糸を紡ぎ続けました。そのために、このコンパクトで、持ち運びに便利な道具を考案したのでした。

 大学内で学ぶ機会を逸したように感じた私は、このスーツケース型のチャルカを手に、ひとりインド国内を染織の調査に出かけました。オリッサ州、ビハール州、ラジャスタン州、グジャラート州、美しい染織品の数々を見るため、外国人は滅多に訪れる事も無い僻地の村々にも行ってみました。チャルカを持って、糸を紡ぎながら。デリーのスラム街では幼い子供等が一心不乱にチャルカを回している姿も見ました。ガンジーの思想は果たして正しい形で継承されているのだろうか? 私は多くの矛盾に充ちたインドに出会う事になりました。


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by ituphana | 2009-01-15 12:15 | チャルカが紡ぎ出すもの
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